【エジプト旅行記⑪】ハトシェプスト女王葬祭殿。歴史から葬られた彼女の生前の治世とは

Mortuary Temple of Hatshepsut エジプト

エジプトルクソールのナイル川西岸にあるハトシェプスト女王葬祭殿Mortuary Temple of Hatshepsut)は、歴史から葬られた悲しき女ファラオの神殿。

なぜ、彼女は歴史から消えたのか?強大な神殿を巡り、古代エジプト王朝唯一の女性ファラオの足跡を辿りましょう。

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1.ハトシェプスト女王葬祭殿について

(1)葬祭殿とは

ハトシェプスト女王葬祭殿
「命」を示すアンク

まず、葬祭殿とは、その名のとおり、ファラオの葬儀や死後の礼拝をおこなうために建造された建物のことを指します。

第18王朝より前の時代は、王墓の近隣に葬祭殿が建造されることが通例でした。第18王朝になると、王墓は王家の谷Valley of the Kings)にひっそり隠すように集約され、葬祭殿は王家の谷から離れた平地や山の斜面に造られるようになりました。

★エジプト読み解きポイント★第18王朝とは

第18王朝(紀元前1570年頃~紀元前1293年頃)とは、新王国時代最初の古代エジプト王朝のことです。

新王国時代は第18王朝~第20王朝までを指し、この時代のファラオにはトトメス3世(Thutmose III)や自らを神と称したアメンホテプ4世(Amenhotep IV)、黄金のマスクで知られる若き王ツタンカーメン(Tutankhamun)、そして今回のテーマであるハトシェプスト(Hatshepsut)など、古代エジプトの有名なファラオの多くがこの時代に活躍していました。

(2)ハトシェプスト女王って誰?

1)古代エジプト王国で唯一の女性ファラオ

ハトシェプスト女王葬祭殿

ハトシェプストは、古代エジプト王国における、唯一の女性ファラオでした。

(のちにプトレマイオス朝で古代エジプト最後の女王となるクレオパトラは、あくまで「女王」であってファラオではない、という整理のようです。)

長い古代エジプト王国の歴史の中で、ただ一人しか存在しない女ファラオ。振舞いづらさがあったのでしょうか、彼女は男装し政治を執り行いました。

2)息子との共治により、国を治める

彼女の父はファラオ・トトメス1世であり、その夫はなんとトトメス1世の息子であるトトメス2世でした(兄妹?姉弟?で結婚したのですね)。

夫のトトメス2世は、妾との子であるトトメス3世を次の王にするよう遺言を残しますが、当時トトメス3世はまだ幼少。その子にかわり執権したのがハトシェプストだったというわけです。共治王という体でしたが、実際には彼女が絶対的な権力を手にしていました

彼女の政治は穏健で、平和的な外交によりエジプトの繁栄に努めました。

3)死後、存在は抹消

エジプトを良き方向へ導いた彼女でしたが、死後、その存在は長い間、歴史の表舞台から葬られてしまいます

ハトシェプストの姿は壁画から削り取られている

この写真は、ハトシェプスト女王葬祭殿にあった壁画の一部です。彩色された人物(神)が2人いることがわかります。

しかし、その2人の真ん中に、色こそないものの人の形が見えませんか?

そう、この部分こそ、葬祭殿建設当初に、ハトシェプストが描かれていた場所。彼女の死後、その存在を闇に葬るかのように、葬祭殿内のあらゆる場所の彼女を示す壁画が削り取られてしまったのです。

誰が彼女の存在を抹消したのか…。諸説ありますが、一般的には、共に国を治めていた息子・トトメス3世によって行われたと考えられています。親子喧嘩…と称していいほど簡単な問題ではないでしょうが、両者の間に深い確執があったのでしょうか。

他説では、彼女のことをよく思わなかった反対派勢力による犯行と主張する歴史学者もいます。女ゆえにファラオとして受け入れられない、男装していたハトシェプストは、どんな気持ちで国を治めていたのでしょうか。

(3)アクセス・基本情報

ハトシェプスト女王葬祭殿は、以下地図のとおり、王家の谷のすぐ隣にあります。

営業情報は以下の通り。観光可能時間は17:00までと、あまり遅くまで観光はできない点は要注意。

名称ハトシェプスト女王葬祭殿
(Mortuary Temple of Hatshepsut)
所在地Kings Valley Rd, قسم الواحات الخارجة، New Valley Governorate, Egypt
営業時間9:00~17:00
入場料140エジプトポンド or 10アメリカドル
アクセス1)ルクソール国際空港から車で50~1時間
2)ルクソール駅から車で50分
関連HPエジプト政府観光局公式HP
トリップアドバイザー

★ワンポイント★アクセスについて

ハトシェプスト女王葬祭殿へは、残念ながらルクソール市内からバス等は出ていないため、タクシーでの移動となります。しかし、エジプトではタクシー料金がとても安価なうえに、タクシー配車サービスのUberを利用することができます

長距離の移動でもそこまで運賃はかかりませんので、是非、ハトシェプスト女王葬祭殿への移動手段のひとつとして検討してみてください。エジプトでのUber利用は以下の記事にてご紹介しています。

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2.見どころはテラスの群像と、女王を削り取った壁画

ハトシェプスト女王葬祭殿の見どころは、テラスに並ぶハトシェプスト像と、存在を抹消された壁画上の彼女の姿。

(1)オシリスに模したハトシェプスト像

ハトシェプスト女王葬祭殿のテラスに並ぶ、冥界の王オシリスに模したハトシェプスト像

葬祭殿の最上部にあたる三段目のテラスには、冥界の神・オシリス(Osiris)に扮したハトシェプスト女王の像がずらり。

オシリスは、壁画や像において、胸の前で腕を交差させ、頭には上エジプトの王冠、体はミイラとして包帯で巻かれ、その上に白い衣をまとっている姿で描かれます。

このテラスに並ぶ像は、顔こそ女性らしさを感じるふっくらした印象ですが、ポーズは冥界の王オシリスのそれそのものです。

★エジプト読み解きポイント★なぜオシリスなのか

ハトシェプスト女王葬祭殿の冥界神オシリスに扮したハトシェプスト女王

エジプト古王国時代において、生ける者の神は太陽神ラー、死せる者の神は冥界神オシリスと区別されており、ファラオは死後、オシリスとして冥界に君臨するとされていました。そして、そのオシリスの後継者(生ける者の世界の王)となったのが、オシリスがイシスとの間に成した子・天空の神ホルスでした。

また、信仰の中では、オシリスはもともと人間で、体をバラバラにされながらも復活を成し遂げたと信じられていました。

つまり、エジプト王家にとって、オシリス信仰とは、現ファラオの死後、ホルスの化身である新たなファラオが玉座につくという王家の正統性、また、亡くなったファラオの復活を願うという意味で、大変重要な意味を持っていたと言えます。

(2)削られた壁画、姿なき女王

ハトシェプスト女王葬祭殿
壁画左側、色のない部分。かつてハトシェプスト女王が描かれていた場所

葬祭殿内では、存在を抹消されたハトシェプストの面影を随所で確認できます。

特に顕著なのが壁画。上の写真では、左側に色のない空間がありますが、ここにはかつて、ハトシェプストの姿が描かれていました

ハトシェプスト女王葬祭殿の削られた壁画

彼女の存在を抹消したかったのは、共に王を務めた息子のトトメス3世か。あるいは女ファラオに対する反対勢力か。

通説となっているのは前者ですが、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好であったと理解する歴史学者もおり、真実は今も不明なままです。

ハトシェプスト女王葬祭殿内の削られた壁画

(3)今もなお鮮やかな葬祭殿内部

ハトシェプスト女王葬祭殿内部には、今も鮮やかな壁画が残っています。

約3500年前の色が今も残っている…昔確かにここに人がいて、この壁画を描いたんだと思うと、胸がとても熱くなります。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿内の削られた壁画
アヌビス神
ハトシェプスト女王葬祭殿

後ろの二人は、盾と剣のようなものを持っています。兵士でしょうか?

ハトシェプスト女王葬祭殿

崩落した部分は、現代人の手によって修復。天井には夜空に輝く星々が。

ハトシェプスト女王葬祭殿のカルトゥーシュ

葬祭殿内部でカルトゥーシュを発見。きっとここに記されているのは、女王のハトシェプストの名前。

(4)葬祭殿外には祭壇や像の数々

内部だけでなく、葬祭殿外部にも見どころあり。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿の祭壇

柱を抜けると、祭壇が。ここで、ハトシェプストへの祈りをささげたのでしょうか。

ハトシェプスト女王葬祭殿

首のない像。両手には命の象徴・アンクが。かすかに丸みを感じますが、これもハトシェプスト女王の像だったのでしょうか…。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿

立派な柱と、オシリスに扮したハトシェプスト女王の後ろ姿。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿

女性のような顔をした柱が3つ。きっとエジプトの神なのでしょうが、いったい誰なんだろう…

ハトシェプスト女王葬祭殿

葬祭殿前にはスフィンクスも。

ハトシェプスト女王葬祭殿

すべてを見通す知恵と、癒しの象徴である、ウジャトの眼。左側はホルスの目、右側はラーの目。

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3.日本人も犠牲に…1997年ルクソール事件

(1)反政府派のイスラム集団によるテロ

そして歴史の視点を現在に移すと、ここ、ハトシェプスト女王葬祭殿は、1997年にイスラム原理主義過激派のイスラム集団が、外国人観光客を標的に無差別テロ事件を起こした現場でした。

イスラム集団がこのような事件を起こした背景には、当時のサダト大統領がイスラエルと国交を結んだことに対する強い反抗心がありました。

イスラム集団は、エジプトの収入源である観光業、ひいてはエジプト経済に打撃を与えれば、民衆の政府への不安が募り、エジプト国家を転覆→イスラム原理主義政権を樹立できると考えていたのです。

不幸なことに、この事件では死者が出てしまいました。62もの命が、この葬祭殿で還らぬ人となったのです。うち10名は、日本人観光客でした

(2)旅行者であることを自覚する

エジプトのギザの三大ピラミッド
2018年、ギザのピラミッドでもテロが発生し、死傷者が出てしまいました

この事件は、他人事ではなく、海外旅行をする以上、自分にも降りかかる可能性のある出来事だと認識すべきです。海外は日本のように安全な国ばかりではありません。

2021年6月の今もなお、イスラエルとパレスチナの武力衝突が11日間にわたり発生し、多くの民間人が犠牲となっています。

宗教問題や地政学的問題は、島国に住む私達日本人にとっては理解し難いものです。だからといって、その国の事情わきまえず横柄に過ごすことの無いように

その国には、その国の生き様があるのです。無駄なトラブルを起こして、事件に巻き込まれませんよう。

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4.ルクソールのおすすめ観光地のひとつ

Mortuary Temple of Hatshepsut

ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト中部のルクソールにある、新王国時代の女王ハトシェプストを祭る神殿。彼女は古代エジプト王国における、唯一の女ファラオでした。

しかし、彼女の存在は、その死後抹消されます。共に王を務めた息子のトトメス3世によるものとも、女ファラオの存在をよく思わなかった勢力によるものとも言われています。

この神殿の見どころは、存在を抹消された壁画上の彼女の姿。ノミのようなもので削り取られた無色の領域から、彼女の境遇、女ゆえの生きづらさがあったのだろうと、思いを馳せずにはいられません。

また、岩壁に沿うように建てられた葬祭殿は、横に長く、光の差し込むテラスが見る者を圧倒します。

すぐ近隣には、ツタンカーメンをはじめとした新王国時代以降の歴代ファラオが眠る王家の谷も。

ルクソール観光の選択肢の1つに、ハトシェプスト女王葬祭殿を加えてみてはいかがでしょうか。

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同じくエジプト・ルクソール。ハトシェプスト女王葬祭殿だけでなく、カルナック神殿(Temple of Karnak)もおすすめの観光地です。カルナック神殿の見どころは,なんといっても、高さ21mの柱が130本以上ひしめく大列柱室。こんなに高い柱を何本もどうやって建てたのか…古代エジプト人の建造力に感嘆するばかりです。

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